私のこと。鏡の中の本当の私と向き合う。

がむしゃらに生きることで、苦しみや悲しみをかなぐり捨ててきた。

いま、泥沼に脚を取られ身動きができず、もがき苦しむ今、自分について改めて認知をしたいと思う。

生物学的には男性。社会的にも外見上男性を演じ続けてきている。
こころの性はトランスジェンダーでありながら恋愛的志向はガイネセクシュアル。
鏡の中の本当の私と、きちんと向き合い続けていこう。

私には親友が一人もいない。親友を作ることを避けてきた。

子供のころ、仲のいいお友達は女子。

小さいころ、冷やかし、からかい、肉体的、精神的ないじめを受けた。それはオトコの人から受けたもの。

いじめを受けたときには、女の子たちに助けてもらった。仲良くしてもらった。

オトコの人が苦手。怖い、と思ってしまうのは、きっとトラウマなのだと思う。

生きづらさを感じるなかで、10歳のときから、オトコを演じるようになった。
演じ続けるオトコだから、いつも心に壁を作ってしまう。

それでも何とか男らしく振舞おうと努めてきた。

振り返ってみると、勤務した2つの会社では、私が所属した職場には女性が多く、時には周りは女性ばかり、という時もあった。
小さな会社を立ち上げて以来、信頼できる仕事のパートナーは女性。

こころの性は女性でありながら、恋愛の対象は女性。
私の中に潜む、もう一人の私を理解してくれた人と結婚し、子宝にも恵まれた。
無念にも、ガンという病気には打ち勝つことができず、他界してしまった。
彼女はやはり、強いオトコを欲していたのだと思う。こんな私で不本意な結婚生活だったことだろう。

そし今、残りの人生を共に歩んでいこうと共に誓ったパートナーと巡り合った。

今まで背負ってきた重荷を一つ一つ降ろすのをサポートしてくれた。
身が軽くなったことで泥沼から抜け出すことができた。

山を歩き、野の花を摘み部屋に飾る。自然の中からお裾分けをいただきいただく。
大地を耕して恵みをいただく。
食事をおろそかにせず、始末のいい暮らしを営む。そんなビジョンを抱くことができるようになった。

そんな人生の最後となるかもしれない転機に「私のこと」を書き記しておきたい。

この記事の内容

産声は歓喜の叫び。ヒトは生まれながらにして苦難を背負う

ヒトは生まれながらにして苦難を背負う。

これは、キリスト教における「原罪」という教義や、「世の中の不条理や、挫折とどう向き合い乗り越えていくか。」を議論の主軸とする「実存主義」にも通じるように思える。

大学生のとき、私は高熱を出した。

今から思えば、おそらくインフルエンザ。

うなされていた。不思議な夢をみた

私は荒れる海の中にいた。

大きなに飲み込まれる。不安、苦しい。
私はこのまま海の藻屑となって行くのだろう。

一度気を失ったが、意識を取り戻した。「まだ生きていたんだ。」
穏やかな波間でプカプカと浮かんでいる。

温かく心地よい海。
心地よい、優しさに包まれている。
私は大きな力に護られながら海の中を泳ぎ回る。楽しい、嬉しい感情が沸き上がる。

遠くのほうから声が聴こえる。理解することはできないけれど、その声は、時には楽しく、うれしく、時には悲しく、そして時には怒りがこもった、様々な感情が伝わってくる。

心地よく海の中に浮かんでいるとき、突然、自分の身体が何かに支配され、少しずつ傾いていく。
怖い。不安になってもがく。

遠くから「大丈夫!」、という励ましの声が聴こえる。

時計の針の動きのように自分の身体が右回りで傾いて行き、完全に頭が逆さまに宙づりになった状態で動きがピタリと止まった。

さかさまになっても大丈夫。怖くない。身体は宙に浮いている。
眠りと覚醒との間で揺れ動きながら、安らかな心に包まれる。

突然、頭が割れるように痛くなる。
頭が管に吸い込まれる。

嫌だ。このままでいたいのに。
必死に抵抗するが、少しずつ、頭が少しずつ吸い込まれていく。

何も見えない。何も聞こえない。
苦しくて息もできない。
鼓動が激しくなる。

苦しい。
私は、このまま気を失って死んでいくのだ。

目の前に汚いゴミの山が見えてくる。
罵り合う人々の姿。
お互いに傷つけあう人々の姿。
やがて争いごとは殺し合いに発展していく。
そんなシーンが目の前に、フラッシュ映像のように投影される。

身体が細いパイプの中に吸い込まれていく。
狭い、暗い。

こんなの嫌だ!
怖い!
見たくない!
死にたい!
死なせて!

身体がんじがらめになり身動きが取れない。

滝のような激しい流れに溺れそうになる。収縮しながら押し出されるようにして、わずかづつ進んでいく。

そんな苦しい思いをしながらも、一方で、遠くから聴こえてくる優しい声に励まされる。
「大丈夫。」
「生きるのよ。」

いい香り
暖かい
楽しい
心地よい
今度は、幸せななときのシーンが、次々と目の前に繰り広げられる

「あの光を目指すのよ!
あの光の向こうに素晴らしい世界が待っている!」

その言葉に駆り立てられ、もがきながら進む。
力尽きそうになる。
すぐそこに光が見えてきたのだけれども、ごくわずかしか進めない。

もうだめかも。
力尽きそうになる。

生きる。
生きる。
私は生きる。
生き続ける。

それが定め。

強烈な閃光に照らされる。眩しくて、何も視えない。

今まで味わったことがない「空気」というものが肺の中に取り込まれ、血流となって身体中を駆け巡る。
私は呼吸を始めた。

生きてる。
歓びの感情がこみあがってくる。

身体全体から集まってくる歓びの塊を口から吐き出した。

オギャー、オギャー

歓びの感情が爆発した。

寒い。身体が震える。
でもすぐに暖かく柔らかい布に包まれた。

優しさに包まれながら、疲れ果てて深い眠りについた。


とても不思議な体験でした。

母親の身体で十月十日過ごし、この世に産まれ出てきた時の回想だったのでした。

人生には、自分にとって怖いもの、嫌なもの辛いことなど、ネガティブなこともたくさんあるけれども、楽しいこと、嬉しいことなどポジティブなこともたくさんある。

人は、幸せになるために生きるのだ、ということを、命がけで私を産みながら、母親が教えてくれたのだと思っています。

3歳。機会損失

たしか、3歳になったころのこと。

届かない。登れない。
自分の背では届かない。

包丁、せめてフルーツナイフを取りたい。
しかし、刃物は高いところに置かれている。

自分の背でようやく届いたのは引き出し。

お箸とスプーン、ナイフ、フォークが入ってるのはわかっている。

取っ手に捕まりバランスを取る。
ひんやりした金属の感触。
いくつか取り出した中に、あった。

ナイフだ。

下着を脱いで床に座り込んだ。

私にとって、不要な突起を切り取るのだ。

根本から切り取ろうと試みるのだが、食事用のナイフでは叶わない。。。

その時、大きな叫び声がした。

「ママ、ママー、大変!」

姉の悲鳴。

母親にひどく叱られた。

命を粗末にしてはいけないと。

泣き叫ぶ母親の形相が目に焼きついて、今でも脳裏に焼き付いている。

私が陰茎を切り落とそうとした意味を母親は理解していなかった。

鏡の中に棲むわたし

ものごころついた頃から、ひとりになると、鏡台の前にいた。
3面鏡の前に立ち左右の鏡に挟まれると無限に映る自分の姿。

なんで自分は女の子じゃないんだろう。

母の口紅を塗った。

姉のお下がりを好んで着ていた。

4つ離れた姉との遊びが楽しかった。想像力がとても豊かな姉。
想像の中で、姉が創る物語の中で、いろんな場所を巡り、様々な役を演じた。

近所の男の子の輪には入らず、いつも姉と姉の友達と遊んでいた。
幼稚園に入ってからも仲のいい友達はピアノ教室で一緒の女の子だった。

ある日、年上の男の子たちに取り囲まれた。

おまえ、何でいつも女の子と遊んでるんだ? お前本当は女なんじゃないか?

ズボンを脱がされた。

「お前にこんなもん、いらないんだよ!」
股間にある突起を棒でつつかれた。

その場所にやってきた年上の女子のグループの中に同じピアノ教室の人がいて、助けてもらった。

からかわれ、ひやかされ、罵倒され、いじめられ・・・

このことは親にも、誰にも言えなかった。

10歳。オトコを演じ始める

男の子たちからかわれ、ひやかされ、罵倒され、いじめられ・・・

このままではいけない。このままでは生きていくのがつらい。

10歳の時、これからはオトコを演じて行こう、と思い立った。

幸い、運動神経抜群の母方の血を引いたこともあってか、突然、運動会で1等を取るようになり、サッカーを始めた。
この頃、ピアノを習っていることについて冷やかされて、教室をやめた。

それ以来、男の子の間でのウケを狙うようになり、ちょっとした人気者にのし上がっていった。
自分の女性部分は、ウケを取るためのネタとして使い出した。
女性アイドルや芸能人の言動を誇張したモノマネをよくしたものだ。

中学の体育祭、高校の学祭では、母親のウィッグをかりて女装して歌を歌った。

大学の合宿の時も夜の飲み会では、女子の服を借りてメイクをしていた。

当時はディスコが全盛の時代。
女性だけは入場料が無料だった。

女性の格好をして、無料で入れてくれるか、友達と賭けをした。

それ以来、何度か女装してディスコで踊り陶酔の波間を漂う快感は今でも忘れない。

父親を演じ、女装を封印

本当の私を受け入れてくれた、彼女との結婚生活。

子供を二人産んで育てたい、それが彼女のたっての希望。

二人の男の子に恵まれた。

一人目の妊娠の報告を受けたその夜から、タバコと自宅での女装を止めた。

一家の生計を立て、マンションのローンを払うためには稼がねば。

リーマンショック~デフレ不況の中、年を取った私を雇ってくれる会社などない。

小さな会社を立ち上げ、数度のピンチを様々な方々に助けていただきながら、何とか乗り越えてきた。

家庭においては父親としての役割を演じることに徹し、ひとり、事務所の鏡の前でもう一人の自分と向き合い続けた。

2度の心筋梗塞で死のリスクに直面した。

全身が激しく痒い蕁麻疹に悩まされ続けた。

食事を改善し、身体を動かし、健康を取り戻そうと取り組み始めた矢先。

パートナーに末期のガンが発覚。

余命1ヶ月という宣告だったが、辛い先進治療を受けてくれて、7ヶ月間頑張ってくれた。
この間の日々のことは、クラウドの空間に、ひっそりとアーカイブされている。

そして今、本当の自分、ありのままの自分で、これからの残りの人生を歩んでいければと。

カミングアウト、そしてバッシング

大学を卒業し、就職してから、複数の化粧品会社のお仕事をさせていただく時に、メイキャップアーティストの方にメイクの仕方を教えていただいた。

仮装パーティの際はドレスや装飾品をお借りして、派手なメイクで参加させていただいた。

1社目の会社を辞めたあと、転職先に入るまでの半年の間、サンフランシスコで過ごした。

当時、LGBTという言葉がまだ使われていなかったころ、日本でも「ゲイ・パレード」が社会的に認知されるようになってきた。

サンフランシスコのカストロという地区。大きな虹の旗が大きく掲げられたストリート。

ここで、ありのままの自分で過ごすことができた。

レストランでも女性として扱ってくれて、トイレも女性用を案内された。

転職先の会社は本社がカリフォルニア。

日本ではまだ社会的にはLGBTは受け入れられていない状況の中、会社も従業員も寛容だった。

カウンターパートナーはLGBTのLにあたる。彼女の自宅でのホームパーティに招かれた時、お酒を飲んだ勢いで、思わずカミングアウトしてしまった。
優しく受け止めてくれた。
お互いを尊重しあい、一緒に業務に取り組むことができた。

日本支社では服装が自由だったこともあって、たまに女性的な仕草、話し方が出てしまうことがあった。
本社でカミングアウトしたことが、歪曲されて漏れ伝わってしまったこともあって、「彼はオカマらしい」というだけならまだしも、「あいつはエイズだ!」という噂を立てられるようになった。

それでも猛烈に働いて昇進した。
しかし、オトコの妬みというものは怖いもの。

社内だけでなく、株主からもバッシングを受けて、電車に乗れなくなった。エレベーターにも乗れない。
そのうち昼夜逆転となり会社に行けなくなった。
うつ病だった。

会社を辞めた。

自宅に引きこもっていてもできる雑誌のテクニカルライターとして仕事をいただくことができたが年収は大幅ダウン。
退職金を切り崩し、ストックオプションを行使して、何とか生計をたててきた。

私は誰?私は何?・・・生きていくのは大変ね。だけど楽しいこともたくさん

「ダイバーシティ」ということで、いまでこそLGBT(Lesbian=女性同性愛者, Gay=男性同性愛者, Bisexual=両性愛者, Transender=心と出生時の性別が一致しない人)として、社会的に少しずつ受け入れようという動きになってきていますが、昔は性的マイノリティと称される人のことを「ゲイ」という総称で用いられることがあったように思います。「ゲイパレード」というのもその一つになるかしら。

「ゲイバー」というのも、男性同性愛者同士が集うバーと、女装をした男性/元男性が、主として一般の異性愛者に接客する女装バーとが、今でも混同されて用いられる場合があるようです。

米国で暮らした時にも、Lesbianの方も「Gay」とひとくくりで呼ばれることがあって、違和感を感じていました。

”鏡の中に棲む”、もう一人の私は、一体何なの?

私はゲイ?違うわ。

オカマ?、女装趣味?、服装倒錯者?、クロスドレッサー?、、、
長きにわたって、自分ではそのような呼称でくくられて、社会からは受け入れられない”異端”の存在なのだと、思い込んできました。

このことについては、あまり深く考えずにここまで来たのですが、世の中がこうやって少しずつでも性の多様性について受容してくださるようになってきて、さらには、国や自治体を始めとする様々な機関、企業、学校などが、「LGBT」や「SOGI」などについて、分類、カテゴライズして、世の中に対して説明をしてくれるようになって、私自身のアイデンティティ(同一性)というものが、ようやく明確になってきたように思います。

これによって、この日本においては、今まで私が人知れず密やかに棲む場所であった”鏡の中”以外にも、居場所ができるのではないかと、淡い期待を抱き始めているところです。

残り少ないけど、人生、一度切りだし。

日本における性的マイノリティは、調査によってバラつきはあるものの、「大阪市民の働き方と暮らしの多様性と共生にかんするアンケート」によれば、LGBTに該当する人のみの割合は約3.3%であり、「決めたくない・決めていない」など、他の性的少数者も含めた結果が約8.2%となっているんですね。
性的少数者にはLGBT以外にもこのように、多様性があるわけなんですね。

1,性自認や性的指向が定まっていない、または定めることに不安を感じている「クエスチョニング

2,他者に対して性的な興味関心を抱かない「アセクシュアル

3,自身の性別を男性や女性に定めない「Xジェンダー

一方で、最近では「Sexual Orientation=性的指向」と「Gender Identity=性自認」の頭文字をとって「SOGI」などという略語も使われるようになってきています。

この言葉は性的マイノリティという概念はなく、LGBTであろうとそうでなくても、誰にでも「SOGI」があるという、全ての人のセクシャリティを表すものなんですね。

「SO」=性的指向とは、どんな相手に恋愛感情を抱くのかという恋愛対象に関するセクシャリティを表す言葉。

「GI」=性自認とは、身体的性別にかかわらず、自認している性のこと。「こころの性」とも言いますね。

私の場合、

LGBTということでは「T=トランスジェンダー」であり、

SOGIということで言うと、SO=性的指向も、GI=性自認も、女性なんですね。

今さらながら、ようやく自分の中でモヤモヤしていたものがスッキリいたしました。

Anju Anjoh
生物学的には男性。社会的にも外見上男性を演じ続けてきています。
こころの性はトランスジェンダーでありながら恋愛的志向はガイネセクシュアルというややこしさの中で、鏡の中の本当の私と向き合い続けています。

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